二刀流の野球少年

所村 武蔵

入社部門:

アナウンス部門

Fresher PROFILE

出身地

石川県

大学所在地

京都府

学部・専攻

グローバル地域文化学部
グローバル地域文化学科

座右の銘

良き心で一隅を照らす

どんな学生だった?

野球一色でした。小学校から大学まで野球部で、野球のことばかり考えていた学生生活でした。2000本スイングやマシンガンノック、思い返せば大変だった思い出の方が多いかもしれません。ですがそんな過酷な練習を耐え抜き、共に喜怒哀楽を共有しながら甲子園や神宮 を目指した仲間との日々は一生の宝物です。
特に思い出に残っているのは甲子園。何度行っても毎回感動を与えてくれる甲子園は私にとってまさに聖地です。高校2年生の時にはスタンドで、大学3年の時はグラウンドで、甲子園の二つの表情を見させてもらいました。そしてこの先はまた違った形で、甲子園が見せる球児の輝く表情に出会えることを楽しみにしています。

テレビ局を目指したきっかけは?なぜテレビ朝日に決めた?

テレビ局を目指したきっかけは、コロナ禍で学校生活も部活動も停止していた時に、報道機関の存在の偉大さを再認識したからです。いつ終わるかもわからないコロナ禍、止まってしまった生活に関する情報はテレビから得るほかありませんでした。そしてテレビ朝日に決めた理由は高校時代の思い出に遡ります。当時、毎晩父と報道ステーションを見る習慣がありました。その理由は、外国人である父にとって報道ステーションが一番理解しやすいニュース番組だったからです。そんな国籍すらも超えて情報を伝えている番組がある局の一員になりたいという思いから、テレビ朝日が大本命の第一志望でした。

就職活動時の思い出

テレビ朝日を受けている最中に、絶対にご縁があると感じた瞬間がありました。それはアナウンス試験でのカメラテストの時でした。一言のお題を出されてフリートークをするという試験内容で、私に出されたお題は「二刀流」でした。今では始めに思いつくのはエンゼルスの大谷翔平選手かもしれませんが、私にとって「二刀流」といえば剣豪の宮本武蔵でした。私は父がアメリカ人、母が日本人で、二つの文化を理解した人物になって欲しいという思いで「武蔵」と名付けられました。自分の人生のテーマの一つでもあった言葉が試験の中で出てきた時は、勝手ながらも絶対にご縁があると確信していました。

印象に残っている研修を教えて!

報道局で記者の方に同行させていただいた研修です。実際に現場に出向き情報を取る作業、そして得た情報の事実確認を進める作業、また集まった情報から原稿を書き上げていく作業、とニュースが出来上がるまでの一連の流れを学ばせていただきました。
この時の学びはアナウンス部の研修に移った今でも活きています。ニュースの要点がどこなのか、そして原稿を書いてくれる記者の方がどれ程の労力を注ぎ込んでくださっているのか、感じ取るべき点をより鮮明に想像して情報と向き合うことができるようになりました。情報が心に伝わるアナウンサーになる為に、これからも精進していきます。

学生へのメッセージ

就職活動はご縁です。ただ最後まで自分を信じて、夢に見た企業を追いかけ続けてください。
私は1年間就職浪人をしています。ESを出して落ちた企業は50社を超えていました。受けている会社に自分を擦り寄せ、偽りの自分で面接に向かっている時もありました。しかしありのままの姿でなければ、本来の魅力を伝えることはできないと、テレビ朝日に内定して痛感しました。
就職活動は大変です。思うように試験が進まないことばかりです。そんな中でも自分の魅力を信じて努力し続ければ、皆それぞれの最高のご縁に必ず出会えると私は信じています。そして学生の皆さんが思い描く最高の結末に、テレビ朝日の名前があればより一層嬉しいです。

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