入社部門:コンテンツ制作・ビジネス部門

FRESHERS
いつでもどこでも
はらちゃんたれ
出身地 |
神奈川県 |
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大学所在地 |
東京都 |
学部・専攻 |
社会学部 |
叶えたい夢 |
災害現場の最前線で、被災者の代弁者になる!! |
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どんな学生だった?
2年間の休学を含む6年間の大学生活では、①学園祭と②カンボジアの2つに力を入れていました。
学園祭では実行委員長を務めましたが、コロナ禍だったので、とにかくどうしたら学園祭を開催できるのかということばかり考えていました。中止も経験しましたが、最終的には初のオンライン学園祭を成功させました。最後の2年間は大学を休学し、カンボジアに日本のNPOが建てた病院で活動していました。刺激的な環境の中で、自分にできることを探し、毎日必死に働いていました。
振り返ってみるといつも「この人たちと一緒に頑張りたい」と思える人が周りにいてくれたからこそ、たくさんのチャレンジをできたのだなーと思います。 -
テレビ局を目指したきっかけは?
子どもの頃に病気で入院していた時、ベッドからあまり動けなかったため、数少ない楽しみはテレビを見ることでした。入院中は1日7〜8時間テレビを見続けていたので、気づいた時にはすっかりテレビっ子になっていました。
それから数年後、高校2年生の時に原発事故の被害にあった福島県の飯舘村を訪れました。そこで村民の方から「メディアは助詞1文字で人の動きを変えてしまう。『10万人が避難』と『10万人も避難』では伝わり方が全く違う」という言葉を聞き、「この力を良い方向に使えないかな。ずっとテレビが好きだし、自分も伝える側になりたいな。」と思ったのが、テレビ局を目指すきっかけでした。この気持ちは今でも変わりません。 -
就職活動~内定者時代の思い出は?
先述の通り、学生生活最後の2年間は大学を休学してカンボジアで生活していたので、就職活動時も内定者時代もカンボジアにいる期間が長かったです。
就職活動時は、オンラインでの面接の中でいかに自分の魅力を伝えるかということを考えていました。就活のためにカンボジアまで持って行ったスーツがあるのにもかかわらず、あえて普段病院で活動しているときに着用していたスクラブを来て、あえてカンボジアっぽい家で撮影し、、、と異色の経歴であることを前面に押し出しました。
自分のやりたいことを継続しながら選考に参加することを許してくださったテレビ朝日には感謝しかありません。 -
テレビ朝日や同期について、雰囲気や感じていることは?
正直、テレビ局に入る前は、「かなり華やかな世界なんだろうな、6年間男子校で過ごした自分になじめるかな」と思っていました笑
ただ、会社に入ってみたら、もちろん明るく楽しむときはみんなで楽しみますが、根が真面目で何事にも好奇心に取り組む人が多いなという印象を持ちました。だからこそ、これだけ広い業務範囲の会社として成立しているのだなと感じています。そして、とにかくみなさんのやさしさを感じる毎日を送っております。研修でお世話になった先輩方ももちろんですが、特に、内定のタイミングがずれて入ったのにもかかわらず、快く受け入れてくれた同期のみんなには本当に感謝しています。 -
学生へのメッセージ
とにかく今を楽しんでもらいたいです!
ここまで読んでいただければ少し伝わるかもしれませんが、僕はかなり自由な学生生活を送らせていただきました。実は僕は就職活動を2回しています。1度就職活動をした後に、休学を決意して海外に渡りました。就活の時期に限らず、学生生活の中で自分の将来について考える機会はたくさんあると思います。人それぞれ環境も考え方も違うとは思いますが、せっかくの学生生活なので自分の気持ちに正直になってほしいです。
僕も社会人になったばかりなので偉そうなことは言えませんが、一つ言えるのは、学生時代に1ミリの後悔もないということです!





