災害被害者の思いを
伝える葛藤と
そこに込める願い

森本 富人

 報道局ニュースセンター

社会部記者

仕事内容を教えてください。

神奈川県担当の記者をしています。常駐の記者は1人しかいませんが、事件・事故、裁判、行政、新型コロナ、災害…とにかく県内で起きる全ての出来事を取材します。普段は県警の記者クラブを根城にしていて、取材した内容を地上波やインターネットの放送に向けて原稿にまとめ、テロップも打ち込みます。現場で取材する時は、その場にいないと感じられないことを言葉にしてレポート撮影することも。重大なニュースや発生直後の事件・事故などであれば、生中継で話すこともあります。ある日、官庁街で起きた火事を取材した際は、現場に着いた瞬間にデスクから「1分後に中継!」と言われ、冷や汗が出ましたが、何とか乗り切ったこともありました。

どんな学生でしたか?

活発な学生だったと思います。将来やりたいことが定まっていなかったので、学生のうちに経験できることは何でもやってみようと思っていました。その一つが、アメリカの大学への長期留学で、結果的に報道記者を目指すきっかけにもなりました。授業を受ける傍ら、現地でテレビ局のインターンシップに参加し、記者に帯同して取材のお手伝いをしました。当時は中国の台頭でアメリカがピリピリしていた時代。一生懸命勉強していたつもりでしたが、実際に現場で取材してみると、自分の知識の無さが恥ずかしくなりました。同時に、今まで知らなかったことを新たに知ることが「おもしろい」と感じ、それを人に知らせることができる仕事をしたいと思いました。

今までの仕事で最も印象に残っている出来事は何ですか?

災害取材が最も印象に残っています。北海道胆振東部地震や西日本豪雨など大規模な災害の現場で取材しました。平穏な暮らしが一瞬で奪われる状況を目の当たりにし、いつどこで、誰が同じ状況になるか分からない災害の怖さを痛感しました。その中でも、特に印象に残っているのは、2019年の台風19号による土砂崩れで両親を亡くした家族を取材したことです。辛い思いをしている家族に声を掛けていいのか、何度も葛藤しました。しかし、この家族は同じ思いをする人がいなくなるよう「残された家族のことを考えて、避難できる時はすぐに避難してほしい」と思いを伝えてくれました。少しでも多くの人にこの思いが伝わり、被害に遭う人が減ってほしいと思っています。

テレビ朝日に入ってよかったなと思うことは何ですか?

尊敬する先輩がいることです。入社直後は、希望とは別の部署に配属されたのですが、ある日、先輩が「せっかく仕事をするんだったら、自分が楽しいと思えることをしよう」と言ってくれました。その日から、上司の指示で動くだけではなく、自分から「こういう企画をやりたい」「今までのやり方をこう変えたい」と提案するようになりました。成果が見えるようになると、やりがいも大きくなっていきました。これは私のことを考えてくれた先輩のおかげだと思います。報道局でも尊敬する先輩がたくさんいます。私が取材した内容をどうすればより多くの人に伝えられるか、一緒に真剣に考えてくれる人がいるなど、恵まれた環境で仕事をしていると思います。

仕事終わりや休みの日は何をしていますか?

平日は睡眠時間を削られることもあるので、休みの日はゆっくり起きます。ドライブが好きなので、自宅の近くで車を借りて家族と県内の名所を巡ったり、下調べしたお店に行ったりしています。あと、映画やドラマを見るのも好きです。よく映画館に行きますが、「いっそ自宅を映画館にしてしまおう!」と、衝動でプロジェクターを買いました。自粛期間では大活躍してくれました。会社の先輩・後輩と出かけるときは、釣りに行ったり、ゴルフに行ったりすることもあります。記者の仕事は、休みの日でも“発生モノ”があると、プライベートを犠牲にしなければならないこともあるので、休める時にはスイッチをオフにして、しっかり休むようにしています。

学生へのメッセージをお願いします!

就職活動中は、記者を目指すなら「他の媒体もあるのでは?」とよく聞かれました。私があえてテレビ局に行きたかったのは、自分が何にでも興味を持つ性格で、テレビ朝日の仕事の幅に魅力を感じたからでした。テレビ朝日にはニュースやドラマなどのテレビ番組だけではなく、イベントやインターネット関連など、幅広い仕事があります。海外で頑張っている同期もいます。異動すると、まるで転職したような気分です。つまり、テレビ局には決まった何かが必要なのではなく、自分の強みをそのまま生かせる場があると思います。きっとテレビ朝日で「やってみたい」と思う仕事があると思います。興味を持ってくれたら嬉しいです。応援しています!

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